松尾芭蕉の旅の足跡
敬愛する人物と同じ道を歩いてみたい、その足跡を辿りたい、という思いを抱く人は多いのではないだろうか。
大石田、尾花沢にゆかりのある、2人の文化人がそうだった。
明治大正時代を代表する歌人斎藤茂吉は、俳諧の祖松尾芭蕉の足跡を辿った。芭蕉はというと、奥州へ落ち延びた源義経の足跡を辿ったと言われる。
松尾芭蕉と尾花沢、大石田
松尾芭蕉が「おくのほそ道」の旅に出たのは、元禄2年(1689)のことだった。二ヶ月ほどかけて東北を歩き、同年旧暦5月に、現在の最上町から山刀伐峠を越え、尾花沢へ入った。
案内人を頼りに、道らしい道もなく暗い峠を進み、恐ろしい思いをしながらも、芭蕉は尾花沢の地で旧友 鈴木清風に会うことができた。
鈴木清風は、尾花沢で紅花問屋を営んでいた。商売柄、江戸へ出る機会も多く、俳諧を通じて芭蕉と親交を深めたようである。清風は、人の出入りが多い自宅には芭蕉達を長く留めず、閑静な養泉寺を宿として用意した。芭蕉の尾花沢滞在は、これまでの旅の疲れを癒すためか、のんびりしたものであったらしい。ちょうど梅雨時で雨天が続いていたせいもあり、晴れ間を待ちながら、奈良茶飯を食したり、歌仙を巻いたりするなど、地元の人々との交流を楽しんでいたようである。
涼しさを我が宿にしてねまる也
芭蕉が、清風の心づくしのもてなしに感謝し、養泉寺でいかに寛いでいたかがうかがえる。
滞在11日目に晴天となり、芭蕉は尾花沢を出立する。当初、大石田へ向かう予定だったが、周囲の強い勧めもあり立石寺へ向かうことになる。

立石寺を拝し、大石田へ到着したのは翌々日のことである。
最上川を舟で下ろうと、天候を見ながら3日間滞在した。
当時、大石田では談林俳諧が主流であったという。高野一栄ら大石田の文化人は、談林俳諧をこのまま継承するか、新しい焦風を学ぶのか決めかねていたが、この機会に是非と芭蕉を招いて歌仙を巻いた。芭蕉は、熱心な大石田の人々との出逢いに、旅の風流がここに極まったと感じていた。
五月雨をあつめてすゞし最上川
このときに巻いた歌仙の発句である。
後日、本合海から最上川を下った際、舟さえ覆りそうな急流を詠んだ句が、おくのほそ道にも記されている、「五月雨をあつめて早し最上川」であった。舟運で栄えた町並の中で見たのは、涼しげで風雅な川だったが、いくつもの難所を持つ大河の流れを身をもって感じ、それを端的に表したのである。
関連場所 芭蕉・清風歴史資料館 尾花沢市中町5-36 TEL 0237-22-0104
大石田町立歴史民族資料館/聴禽書屋 大石田町大字大石田乙37-6 TEL 0237-35-3440